2013年1月25日金曜日

It is well ...


讃美歌520番(静けき河の岸辺を)、あるいは聖歌476番(安けさは川のごとく)などで日本語にも訳されている歌を、先週こちらの教会で賛美しました。

原詩のサビの部分は「It is well with my soul.」です。

My soul は魂です。

It is well は単に平安な状態以上でしょう。健やかというか、神によって造られた、人間の本来あるべき状態。満たされて、平安で、健康な状態。

だから、「我が魂、至って良好なり」という感じでしょうか。 

原詩の一番は、順境のときも、逆境のときも、いかなるときでも「我が魂至って良好」と言うことを、神が私に教えてくださった、というものです。

これを習得するのはすごいことです。簡単に歌える讃美歌ではない。しかも作者は、海難事故で愛娘4人を一度に失った後にこの詩を書いているのです。

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記121節)をまさに自分の言葉としているわけです。 

最近読んだ本の中にキリスト教を『客観的に』見ていると思っている人の疑問がいくつか書かれてありましたが、その中に、「現世利益や安全を保障してくれない神をなぜ信じ続けられるのか」がありました。(これは、私に言わせてもらえば、「信じていない人が『主観的』に見ているキリスト教に対するもっともな疑問」ですが、非常に重要と思います。) 

先ほどの讃美歌の作者、ホレイショ・スパフォードは、娘4人と息子2人を幼くして事故と病気で相次いで亡くしていますが、神を信じ続けるどころか、褒めたたえ続けて60年の生涯を閉じました。

それを可能にしたのは、やはり、イエス・キリストの十字架ではっきり示された圧倒的な神の愛でしょう。この福音を心底分かってイエス・キリストに従う決心をした人は、状況がどうであれ、主の道を歩むことの幸いを、その後の人生で学ぶことができるのです。スパフォードも、歌詞の2番で主の十字架を歌っています。 

それにしても、スパフォードの信仰はすごいです。また、この讃美歌を歌った会堂には先週200人以上いたでしょうか。その中の一部の人の人生を、私は知っています。色々と辛いところを通らされて来た、あるいは今まさに通っている人達です。でも、その人達も心からこの讃美歌を歌っていました。200人以上の人達と、私も共感して歌っている時に、非常な感動を覚えました。この神様はやっぱりすごいです。イエス・キリストから2000年以上経って、イスラエルから遠く離れたイギリスで、今もこんなにも多くの人が心から主を賛美している。世界中で、置かれた状況がどうであれ、主を賛美している人が数億いると思うと、なんか熱いものが込み上げてきます。

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以下、It is well with my soul の歌詞と私訳です:

1. When peace like a river attendeth my way,
when sorrows like sea-billows roll;
whatever my lot You have taught me to say,
‘It is well, it is well with my soul.’

平安が川のように心に流れるときも
悲しみが大波のように押し寄せるときにも
どんな状況に置かれても、このように言うことをあなたは教えてくださった:
「いたって良好、我が魂はいたって良好」と。

It is well with my soul;
it is well, it is well with my soul.

2. Though Satan should buffet, if trials should come,
let this blessed assurance control,
that Christ has regarded my helpless estate,
and has shed His own blood for my soul.

サタンが襲って来たり、試練にあっても、
この尊い確かな平安が私を治めるように。
つまり、キリストが私のみじめな様をご覧になり、
私の魂のためにご自身の血を流してくださったというゆるぎない事実が、
私の心を治めるように。

3. My sin – O the bliss of this glorious thought –
my sin – not in part – but the whole
is nailed to His cross; and I bear it no more;
Praise the Lord, praise the Lord, O my soul.

我が罪 - 嗚呼、この輝かしい事実がもたらす無上の喜びよ -
我が罪は - その一部ではなく、全部の罪が - 主の十字架に釘付けられた。
だから私はそれをもはや背負わなくてもよい。
主を賛美せよ。主をほめたたえよ。我が魂よ。

4. For me, be it Christ, be it Christ hence to live:
if Jordan above me shall roll,
no pain shall be mine, for in death as in life
You will whisper Your peace to my soul.

今こそは、私にとって生きることはキリストであるように。
死に臨む時も、私には何の痛みもないだろう。なぜなら、生きている間と同じように、死の時にもあなたは、あなたの平安を私の魂にささやいてくださるから。
 
5. But Lord, it’s for You – for Your coming we wait,
the sky, not the grave, is our goal:
O trump of the angel! O voice of the Lord!
Blessed hope! Blessed rest of my soul.

しかし、主よ。我々はあなたを、あなたの再臨を待ち望みます。
墓ではなく、天が我々の目指すところです。
天使たちのラッパよ!主の御声よ!
確かな希望。恵みあふれる我が魂の安息は。

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